過去に何度も不正をやらかした会社に属していた時期がありました。いつも同じ人が不正をやらかしているわけではなく、毎回当事者は違います。不正の度に社内総点検がありましたけども、その際には新たな不正は見つけ出せませんした
当事者たちは特別な人だったかというと、どうもそうではなかったようです。不正をする人は普通の人と考えています
調査報告書を読むと最初は些細なことから始まって徐々にエスカレートしていったようです。最初は軽微だったものが時間をかけて本来のプロセスから徐々に逸れていき、「いくら何でもそこまでやっちゃだめでしょ」レベルにまでなりました。「そこまでやっちゃだめでしょ」レベルに達するとバレるのは時間の問題です。不正が発覚してエライ人から呼び出されてハッと気づくようです。自分が関与したことがニュースで採り上げられ、事の重大さに気づき後悔し、そして憔悴していくようです
「他人の不正と結末を何度か見てきた人が今度は自分が当事者になっている。何故、社内で自浄作用が働かないのか」と考えたことがあります。当時、大きなコンプラ違反はもちろん、小さなコンプラ違反の事例が時より共有されていましたけど、それは有効な対策ではなかったように思えます。どうも、他人のやらかしを他人事として考える人の割合が多い会社だったようです(他人のやらかしを自分事として捉えられる人はやらかさない)
「面倒くさい」、「時間がない」等が理由で、本来のプロセスを省略したり変更する行為は不正への第一歩になります。正規プロセスの省略・変更が常態化してしまうと、当事者はもはや日常業務と思っているので不正をしているとは感じません(普通のことをしていると思っている)。職場の人は入れ替わりますから、引き継いだ人は不正業務と気づかず取り組むようです(教えてもらった通りやっていて悪いことをしているとの認識はない)
このような状況下では不正に気づくことができるのは当事者から距離を置いたその周りの人です。言うか言わないか、最初の一歩を踏み出すか否かは勇気の問題です。タウンホールミーティングで質問をしなくても何ら実害は無いのでスルーしても問題ありませんが、コンプラ違反に声を出さないことは実害ありますから、勇気を出すべき行為になります
ただ、残念なことに普通のことをしている認識の人に対しては「現状はよろしくはないかもしれない」レベルでは伝わりますが、「改める」レベル迄は伝わらなく歯がゆい思いをすることがあります。すっかりメタボ体形の人が「そのままでいると生活習慣病になっちゃうよ」と言われても自分はまだぽっちゃり体形だから大丈夫だと思うのと同じです
一度、相談窓口にメールしました。が、メール返信があったもののそれ以降、詳細を聞かれず音沙汰無しです
「あがく置物」から抜けてない状態で、とてもストレスに感じ重苦しい気持ちになりました。そしてある時気づきました、これは自分で担げないくらい重い荷物であることを。そして、思いました。重苦しい気持ちになったら、直ぐに割り切ってこれまで言ったことをエビデンスとしてしっかりと残し、荷物を担ぐことを止めるべきだったと。もし、問題が顕在化した時はエビデンス見せて「自分はまじめに取り組みましてけど。生憎同調する人はいませんでしたけど」アピールしたらよいです
もし同じ境遇にいて、適切化に向かって頑張ったけど成果に結びつかなかったとしても、勇気を出して口を動かしたあなたはしっかり仕事をしておりますからその会社で評価されるべきです
仕事がうまく進まず重苦しくなるのとは違う重苦しさを感じ、これはこれでいい体験です。こういう重苦しさから脱却するために退職する人もいるんだろうなと勉強になりました
ここまでお読み頂きありがとうございました <(_ _)>
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