人には「それはコンプライアンス的にNG」とは言うけれども、自分はついやってしまうことありませんか?
コンプライアンスに関するケーススタディーでは皆さんは的確に回答できているから、「問題になりそうか否かの判断」「その場にいたらどうすべきか」をそれぞれの立場で意見しています(つまり他人のすることは適切に評価できている)
ケーススタディーでは的確に回答できる人が、自分たちがしたことになると自分たちに都合の良いストーリーを作って正当化してしまう人もいます(自分がすることは適切に評価できないことがある)
自分ごとでは適切に評価できなくても、他人の行為については適切に評価できるので、誰でも不適切行為を見かけたら指摘することは可能です。逆に自分のやっていることを人に評価してもらい、気づかせてもらえることも可能です
つまり、お互いを指摘しあうことはできる。指摘を受けたら都合の良いストーリーなど作らずに素直に認める。これにて言うこととやることの一致が図られていきます。同じ目標を持っている集団ですと、たぶんうまくできると思います
<都合の良いストーリーとは>
十分太っている人に「痩せたほうがいいんじゃない?」と言ったとします。ところが、本人は言われるほど太ってないと思っているので痩せようとは思いません(その通りだと思ったら指摘されるような太り方はしない)。これと同じで悪いことをしていても、確かに悪いことをしているかもしれないが、自分だけではない(根拠がなくてもそう思う)し、それほど悪いことをしていると思っていない。これが根底にあって、正当化ストーリーを作ってしまうのではないかと考えています
そういえば、報道番組で不祥事を引き起こした企業に対して言いたい放題言ったり、社長の記者会見を評価して「これでは全く説明責任を果たしていない」とか言っちゃってます。不祥事を起こしたフジテレビは説明責任を果たすというのはどういうことなのか、手本を示してもいいくらいですが、他は評価できても自分はできないの典型的例です
ここまでお読み頂きありがとうございました <(_ _)> VVV-Victory目指しましょう
コメント